今日の仮説社

 

数学的とはどういうことか

 私は,『数学的とはどういうことか』といった本をつくりたいと,思いつづけてきました。
 いや,数学だけではなく,「化学的とは」「地学的とは」「音楽的とは」「美術的とは」「体育的とは」「英語的とは」……いろんなことについて,「~とはどういうことかシリーズ」をつくりたかったのです。
 1977年からずっと,です。
 
 なぜそんなことを考えたかというと,板倉聖宣『科学的とはどういうことか』の発行(1977年初版)がきっかけでした。

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 この本は,とても面白い。
 と言うだけでは,とても足りない。
 いろんなことを考えさせてくれました。

 1963年に板倉聖宣さんと仮説実験授業を知って,「科学」というのが「理科」とはまったくちがうものだと知りました。
 「理科,算数が苦手」だった私は,「オレは〈理科〉が好きじゃないだけで,〈科学がきらい〉というわけではない」ということに気づいてとっても驚き,そして,うれしくなりました。
 そのことが,『科学的とはどういうことか』で,いっそうはっきりしました。

 それなら,私がきらいだったり,わけがわからないと思っていることについて,もしかしたら,「悪いのは私じゃなくて,相手?かもしれない」と思いました。
 そして,そういう疑問をといてくれる本として,「◎◎的とはどういうことかシリーズ」を空想したのです。
 でも,どう考えても,「執筆者」が思い当たりませんでした。

 その後,「美術的」については松本キミ子さんと出会い,なんとなくイメージできるようになりました。
 ……という話をしだすと長くなるのでやめます。

 でも,今回の『数量的な見方考え方』は,私があこがれていた「数学的とはどういうことか」にちかいので,とてもうれしく思っているのです。

 私が悩まされていた「数学」と,この本でとりあげている「数学」とは,とっても違います。
 おそらく,多くの読者もそう思うでしょう。
 だから,当然,反発する人もいるでしょう。

 それで思い出します。
 『日本歴史入門』や『歴史の見方考え方』(いずれも板倉聖宣著,仮説社)を出したとき,とくに日本史を教えている先生たちからつよい反発がありました。
 しかし,けっきょく,本格的な批判は,まったく表面にはでてきませんでした。
 かといって,「この内容が正しいので,全面的に受け入れる」という反応も,まったく聞こえてきませんでした。

 そして,「学問をつくりかえる覚悟がなければ,授業書はつくれない」ということの意味,その〈おそろしさ〉と〈たのしさ〉も,感じました。

 だから,この本がどのように世の中にむかえられるのか,私はとてもたのしみなのです。(三)

100421科学的数量的

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